姉妹(ウナリ=女性)が兄弟を霊的に加護するという「ウナリ神信仰」のある奄美では、「政治(働き)は男性、神事は女性」とされ、祭祀(さいし)に使用する神酒造りも女性が担ってきました。奄美の島々では明治時代に沖縄から泡盛の製法が伝わると、手に入りやすい雑穀や芋を使い、女性たちの手によって焼酎の自家醸造が始まりました。焼酎造りの上手な家は評判となり、酒造りを頼まれるようになり、黒糖焼酎の酒蔵としての創業に繋がっていきました。
「杜氏」の語源は、酒造りを初め家事全般を司る女人を指す古語の「刀自」に由来するといわれます。
沖縄や奄美の方言では、今も妻を「トゥジ」と言います。今日に至る迄の、奄美黒糖焼酎の女性杜氏たちを紹介します。
徳之島で女性杜氏3代に受け継がれてきた心意気 松永 晶子さん「子を慈しむように、楽しき酒を醸すことを心掛けています」
松永 晶子(まつなが しょうこ)氏
鹿児島県徳之島生まれ。東京農業大学醸造学科を卒業後、前杜氏の母:玲子氏と二人三脚で焼酎造りに取り組む。現在は(有)松永酒蔵場 代表取締役。2人の子を育てながら杜氏としても奮闘中。杜氏歴13年。
初代は手造り麹の銘柄で大評判に
1952年の創業時から祖父の松永清が代表、祖母のタケ子が初代杜氏でした。
沖縄の杜氏から酒造りを習った祖母が鹿浦川の上流に湧き出す泉から引いた水を使い、手造りの麹と黒糖を甕仕込みして造った銘柄は大変な評判で、当時島の鹿浦港で荷役作業の仲士として働いていた泉重千代氏も仕事上がりに蔵を訪れ、労働の疲れを癒す酒を求めたといいます。
祖父は創業6年目に株式会社にして東京事務所を構え、黒糖焼酎を島外へ販売する先駆者となります。65年には共同瓶詰会社を設立して島内6蔵の原酒をブレンド、商品化する体制を築きました。
【写真】昭和30年代の販売の様子
焼酎造りに邁進していた2代目
2代目杜氏は母の玲子です。64年に祖母が急逝。母は祖母が頼んでいた沖縄出身の杜氏の造り方を見て「これではだめだ、私が造る」と、自ら後を継ぎました。婿入りした父:仁は、技術者として機械修理から建築まで蔵の内外に様々な工夫を凝らすなど、生涯を通じ母の理想とする酒造りを支えました。
母は特に麹造りへの追求心は強く、研究熱心で、米を変えたり、温度などの条件を変えて実験を繰り返していました。私も何度も母の実験に付き合わされました。
仕込みの時期は蔵に寝泊りして仕事をしていましたが、母の指先は少し曲がってしまっていて、手を使い過ぎた後は握る動作ができないことも。疲れていても酒造りをするのは楽しそうで、蔵ではいきいきとしていました。平成15年3月の早朝、仕込みタンクの傍らで倒れているのが発見されました。焼酎造りに精魂を傾けてきた杜氏らしい最期でした。
そんな母の口癖は「酒造りは子育てと同じ」。私は母と違い、麹や醪は手を掛ければ掛けただけ応えてくれますが、子育ては酒造りよりもずうっと大変だと実感しています(笑)。
心を込める造りを受け継ぐ
母は多くを語らず、働く背中を見せるタイプ。母にあらゆる仕事を振られ、厳しく仕込まれました。平成16年からは一人きりで製造を開始しましたが、帳簿から造りまで不安無くこなす事ができたのは、母のおかげと感謝しています。
心掛けているのは、菌たちが気持ちよく活動してくれる環境整備。掃除は念入りに行いますし、機械も磨きながら労をねぎらってあげると、頑張って動いてくれます。短歌が趣味だった母が詠んだ「蔵出しの酒に思はず願ひけり 楽しき酒に飲まれよかしと」。楽しい酒になって飲まれるんだよと、日々蔵で作業しながら、私も同じ事を思います。
まだ黒糖焼酎は男性が飲むイメージが強いですが、若い女性に手にとってもらえるようパッケージデザインを工夫した商品開発にも取り組みました。これからも母の志を受け継ぎ、心を込めた焼酎造りをしていきたいと思います。
徳之島子宝空港
徳之島アオサ摘みの風景
徳之島鹿浦港
清潔な蔵で勢いよく発酵する醪
砕かれ保存されている黒糖
仕込みタンク
現 奄美女性杜氏の思い
沖永良部島/竿田酒造 石原純子杜氏(杜氏歴25年:写真左)
子どもの頃から蔵に出入りし、日曜日は瓶詰めのほか、姉とリヤカーを引いて焼酎瓶を回収し、瓶洗いをするのが決まりでした。短大進学で一度島を出ましたが、結婚を機に帰島。創業者の両親について15年間仕事を手伝い、1993年に蔵を継ぎました。
島に根付くユイ(=結い)の精神(結束し協力し合う精神)で沖さんと麹造りを協力し、最近は他社の若い杜氏に頼まれ技術指導をする事もあります。酒類製造免許は簡単に取得できるものではないからこそ、蔵を受け継ぐ重みを感じ、守っていきたいと思っています。
沖永良部島/沖酒造 沖 裕子杜氏(杜氏歴15年:上記写真右)
2003年に義父が急逝し、沖永良部島に現存する最古の蔵を守っていく事が使命と思い、公務員だった夫に代わり蔵を継ぎました。
2009年に竿田酒造と共同で製麹機を購入。協力して麹造りをしています。同じ年に退職した夫が蔵入りし、蒸留や力仕事を担っています。年に2回の仕込みで、製造量が少ない分、じっくりと丁寧な酒造りを心掛けています。
奄美大島/西平酒造 西平せれな杜氏(杜氏歴1年)
初代杜氏であった曾祖母が生きていたら聞きたい事が山ほどあります。あの時代に女性杜氏として蔵を切り盛りし、戦後のアメリカ軍占領下でビールや乳酸飲料なども手掛けた曾祖母は、かなりの革命家だったに違いないからです。近頃そんな曾祖母の意思を「守りたい」だけでなく、曾祖母のように新しい事を「開拓したい」という気持ちが芽生えてきました。これも私の中に彼女の血が流れているからだと思うと、身が引き締まる思いです。
■黒糖焼酎の女性杜氏系譜■
■喜界島■
■朝日酒造■初代杜氏:喜禎ハツエ氏
現存する黒糖焼酎蔵の中で男性も含め、一番最初の杜氏。
■旧石川酒造【現喜界島酒造】■初代杜氏:石川すみ子氏
集落単位での焼酎醸造が行われていた大正時代、沖縄から喜界島へ渡り、島内の酒造所で技術指導をしていました。
■奄美大島■
■弥生焼酎醸造所■初代杜氏:川崎 タミ氏
大島紬の織元として財を成し、慈善事業にも取組み、紺綬褒章を授与された、名瀬名誉市民第1号の名士です。
■西平酒造■初代杜氏:西平 トミ氏
現杜氏:西平せれな氏
トミ氏は敗戦後のアメリカ軍政下で物資が不足する中、夫と共に別会社を設立し、ビールやサイダー、乳酸飲料など、島民の求める飲料品の製造も手掛けました。
■旧石原酒造【現町田酒造】■初代杜氏:石原 タカ氏
■奄美大島開運酒造■初代杜氏:渡 悦美氏
音響熟成も取り入れ、女性に向けたマイルド系の商品開発に成功し、黒糖焼酎の大都市圏での販売を拡大しました。
■徳之島■
奄美酒類(共同瓶詰会社)
■松永酒造場■初代杜氏:松永タケ子氏
2代目杜氏:松永 玲子氏
3代目杜氏:松永 晶子氏
■沖永良部島■
沖永良部酒造(共同瓶詰会社)
■沖酒造■現杜氏:沖 裕子氏
■竿田酒造■初代杜氏:竿田トヨ氏
現杜氏:石原純子氏
■神崎産業■初代杜氏:神崎ハツエ氏
奇岩が立ち並ぶ岩礁海岸のウジジ浜公園
沖永良部島のサトウキビ畑
様々な教えを残した西郷隆盛への感謝の念から1902年に沖永良部島の島民によって建てられた南州神社の境内にある西郷像
竿田酒造の蒸留機
沖酒造の仕込みタンク
沖酒造に保存されている昔の蒸留器
焼酎蔵が力を合わせる奄美黒糖焼酎共同瓶詰会社
奄美群島には共同瓶詰会社が沖永良部島に沖永良部酒造(4社加盟)、徳之島に奄美酒類(現在5社加盟)があります。製造と瓶詰め・販売を分業することで、蔵は製造に専念し、瓶詰め設備などの設備経費を抑え、協業することで販売力も強化できます。また、異なる原酒をブレンドすることで香りや味わいに奥行きが生まれ、酒質も安定。共同瓶詰工場では、造り手が丹精込めた原酒の味わいを最大限に活かせるよう、常に貯蔵されている原酒の状態を見極めながら商品化を行っています。
奄美酒類は1964年に施行された「中小企業近代化促進法」により、廃業か協業化かを迫られた小規模の酒蔵が集まり、6社で1965年に設立。力を合わせて本土への販路拡大に注力してきました。その後1社が脱退し、現在は、松永酒造場、亀澤酒造場、天川酒造、高岡醸造、中村酒造の5社の原酒をブレンドし製品化。東京・神戸・鹿児島に出張所を持ち、製品の約6割を本土へ出荷しています。
沖永良部酒造は、6社が集まり、1969年に設立。現在は徳田酒造、竿田酒造、沖酒造、神崎産業の4社体制となっています。
奄美酒類の巨大な貯蔵タンク
奄美酒類の甕貯蔵
奄美酒類代表 乾眞一郎氏
「4蔵の原酒をブレンドすることで生まれる味の奥行きは、共同瓶詰ならではの魅力。焼酎ブームの頃に比べて出荷がゆっくりで原酒が熟成している今が奄美黒糖焼酎の飲み頃です。」
沖永良部酒造の瓶詰めライン
沖永良部酒造の工場長 村山治俊氏(左)と代表 徳田英輔氏(右)
「1社の原酒による銘柄と、3社の原酒をブレンドした銘柄を製造。常に各蔵を回って原酒の状態を見極めながら商品化しています。」
現地料飲店探訪
「やどぅり」(徳之島)
徳之島南部の犬田布(いぬたぶ)集落の住民たちが、昔ながらの茅葺き屋根の民家を再現。日頃は集落の集会所として使われている建物だが、完全予約制で島料理のランチが楽しめます。地元の方々が地場産の旬の素材を囲炉裏の火を使って調理し、大きな芭蕉の葉の上に豪快に盛り付けてもてなしてくれます。
ランチ1,500円/人(要予約)
予約先:ましゅ屋 TEL:0997-86-9341 鹿児島県大島郡伊仙町犬田布
やどぅり外観
やどぅりの釜土
やどぅりのランチ
徳之島の赤土で育ったジャガイモや地豆豆腐、海岸で摘み取ったアオサの天ぷら、長寿食材としても注目される薬草:長命草の天ぷらなど、島の郷土料理が並ぶ
編集後記
現在の奄美群島では、闘牛の勝利祈願など様々な祈りの場でお神酒として奄美黒糖焼酎が登場し、日常の酒としても地元の人々に愛飲されています。そして、現代の女性杜氏たちは、それぞれの志を胸に美味しい焼酎造りに取り組んでいます。女性と酒の歴史に想いを馳せつつ、女性杜氏の手から生まれる酒を楽しんでみてはいかがでしょうか。(M)
日本酒造組合中央会
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