焼酎は、16世紀には広く作られていたと考えられています。それからというもの、焼酎は愛され続けています。焼酎を飲む際、一気に飲み干してしまうのもまた良いでしょう。しかし、その焼酎の歴史、また酒器の歴史に浸りながら飲むと、味わいもさらに深くなるというものです。
今回は「薩摩焼酎」そのものの歴史、また、黒ぢょかと薩摩切子の歴史をご紹介したいと思います。
唯一無二のブランド「薩摩」
世界貿易機構(英:World Trade Organization、略称:WTO)の加盟国が保護するGI(地理的表示、英名: Geographical Indications)というものがあります。
それにより、同様のものが別の土地で作られたとしてもその土地の名前を使用することはできません。ラベルには大きく「薩摩」と書かれています。「薩摩」は、鹿児島県産のさつま芋、水を使って鹿児島で造り、鹿児島で蒸留、瓶詰めされた芋焼酎のことを指します。
「薩摩」は世界が認めた、唯一無二のブランドなのです。
「薩摩」の歴史
「薩摩」の原料であるさつま芋、もともとは中南米や亜熱帯で生まれました。そこからフィリピンに伝わり、中国を経て琉球(りゅうきゅう)に伝来したとされています。
1705年、南薩摩の漁師である前田利右衛門が琉球からさつま芋を持ち帰り、18世紀ごろに芋焼酎は誕生しました。それからというもの、芋焼酎は人気が衰えない本格焼酎であり続けています。米作には適さないシラス台地の薩摩にさつま芋はよく育ちましたから、薩摩は芋焼酎大国となったのです。
黒ぢょか
酒器である「黒ぢょか」。この歴史は400年前にさかのぼります。豊臣秀吉が朝鮮出兵を行った際、各藩が陶工を連れ帰り、九州の窯業を発展させました。この朝鮮出兵は「やきもの戦争」と呼ばれたほどでした。その中でも、千利休の弟子で茶人でもあった義弘公は約80人もの朝鮮陶工を薩摩に連れ帰り、薩摩焼の発展に貢献しました。
薩摩焼は大きく2つに分けることができます。1つめは「白さつま」。これは「白もん」と呼ばれ、乳白色のきめこまかな肌の上に繊細な色絵がついた高級品です。上流階級や藩主御用達で、一般庶民には手が届かないものでありました。
2つめが「黒さつま」。これの代表的なものが「黒ぢょか」と呼ばれ、庶民の生活の器として広く使われました。上部分に桜島、下部分に鹿児島湾に映った桜島を型どった黒ぢょかの様式美は国外を超えて愛されています。1953年、鮫島佐太郎がアメリカのグッドデザインコンクールに出品した黒ぢょかは1等を獲ったほどです。そして黒ぢょかは、薩摩焼酎認定マークのモチーフにも使用され、今日まで親しまれています。
薩摩切子
薩摩切子の歴史は19世紀に始まりました。藩主、島津斉興(しまづなりおき:1791~1859)が薬ビン製造のため、江戸からガラス職人を呼び寄せたことがことのはじまりです。
1851年、斉興の跡をついで藩主になった斉彬は、西洋技術を取り入れた一大工場群からなる「集成館事業」を興し、日本初の「硝子方(工場)」を設営しました。同年、薩摩切子の代表的ガラスである「紅色ガラス」が誕生。この後、藍、紫、緑、金赤、黄色ガラスも作られました。
薩摩切子の特徴
薩摩切子は、色ガラスを透明のガラスにかぶせて作るため色の「ぼかし」が特徴です。ガラスの断面がグラデーションに輝いているのがなんとも優美です。文様も多くが二種類を組み合わせた複合文となっています。
おわりに
近年、焼酎用の原料芋、また、芋麹も開発され、味わいの幅をますます広げる芋焼酎。ぜひ、芋焼酎と共に発展してきた黒ぢょかや薩摩切子で飲んでみてはいかがでしょうか。
出展 本格焼酎&泡盛プレス2008年7月号No.70/2008年11月号No.72/2014年1月号No.103/2009年7月号No.76+9月号No.77
日本酒造組合中央会
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