沖縄には、泡盛の魅力を意欲的に世界に向け発信している方が数多くいらっしゃいます。今回は、その中から那覇市でバー・泡盛倉庫を営む比嘉 康二さん、陶芸家の相馬正和さん(陶眞窯)、山田和男さん(てぃぬひら工房)の3名にお話を伺いました。
「王朝文化に培われた泡盛の深遠さを伝えたい」
比嘉 康二(ひが・こうじ)氏
沖縄県宜野座村出身。2009年より会員制バー・泡盛倉庫店主。沖縄県酒造組合開催のきき酒会で2年連続全問正解での金賞受賞の実績を持ち、県酒造組合主催のセミナー講師も勤める。泡盛蔵で蔵元と楽しむ宴遊会や、百貨店の沖縄物産展などで泡盛BARを展開し、現代生活にフィットする楽しみ方を提案しながら、泡盛の文化を伝え、その魅力を発信しています。
宮廷が育てた高貴な酒、泡盛
泡盛は琉球王府の酒として造られ、600年の歴史があります。「泡盛」の名の由来は「泡を盛る」で、盃に泡盛を注いでできる泡でアルコール度数を測ったことからきています。こうして測った、度数が高く濃厚な味わいの蒸留の初めの部分、初留の原酒が王府に献上され、蒸留後半の低い度数のものを庶民に分けていたそうです。
熟成させて育てる古酒文化も王朝が継承してきたもので、仕次ぎ法(※)により100年、200年ものの古酒が造られ、琉球王朝の外交の要として欠かせない品でした。蒸留したての原酒は生まれたての赤ちゃんのようなもの。年数を重ねることでその子の個性が現れ、熟成させるほど味わいが変化していくのです。このように長期熟成させるお酒は世界でもシェリー酒くらいで、大変珍しい存在です。
※仕次ぎ法:古酒を貯蔵年数別に保存し、消費分やアルコールの揮発分を貯蔵年数の近い貯蔵酒から貯蔵酒へと順に注ぎ足していく貯蔵法。古酒を活性化させながら味わいも守り、長期熟成を可能にします。
優雅に小さな酒器で古酒を味わう
琉球王府は外国文化からより良いものを取り入れるマインドがあり、ヤシの実酒やタピオカを使った菓子の記録なども残っています。酒器や食器にも中国・朝鮮から輸入した磁気や漆器を取り入れたり、「やちむん」と呼ばれる沖縄の独自の陶器や琉球漆器の世界を造り出してきました。
泡盛の本質を見出すには、高い度数を生で飲むスタイルです。古酒をじっくりと味わえるよう、当店では半合入りのカラカラと直径数cmのチブグヮー(盃)で提供しています。王朝期にも高貴な人々が小さなチブグヮーで、優雅に楽しんだはずです。カラカラは貯蔵甕から注いで飲むための酒器で、方言で「貸してくれ、貸してくれ」という意味です。
古酒を育てる事こそ現代の使命
2001年、NHKドラマ『ちゅらさん』放映時に泡盛も注目され、ブームになりましたが、以降は販売量が減少しています。戦後普及した水割りのニーズに合わせた造りの銘柄が多く流通し、まだまだ泡盛本来の古酒の魅力の訴求が弱いと感じています。先の大戦で100年を超す古酒の殆どは失われましたが、平和で長期熟成の古酒も育てられる現代は、質を追求できる時代でもあります。泡盛のアイデンティティを掘り起こして、伝えていくのが私の仕事だと思っています。
泡盛を支えるやちむん工房探訪
焼き物の里・読谷村で、酒甕を作り続けて40年、壺屋焼伝統工芸士でもある陶眞窯の相馬さんと、やちむんの伝統を学びつつ、独自の絵柄や形を展開しているてぃぬひら工房の山田さんにお話をお聞きしました。
風土伝統を活かし様々に焼き上げる
陶眞窯 相馬正和氏
横浜生まれ。陶眞窯釜主、壺屋焼伝統工芸士。1972年沖縄に渡り壺屋焼高江洲育男氏に師事。韓国に渡り古窯を訪ね研鑽を積み、1975年恩納村に登り窯を築き独立。1978年読谷村に登り窯を移窯。現代沖縄陶芸展などで受賞歴多数・「線彫大抱瓶」大英博物館の常設展示となるなど、内外で評価されています。
泡盛を熟成させる容器として昔から使われてきた南蛮甕は、一説によると朝鮮のキムチ甕がルーツとも言われます。荒焼の琉球南蛮に使われる陶土は鉄マンガンが多く、酒の熟成に向いているため、甕に酒を入れると1日でまろやかに変化するのが分かります。陶眞窯では一升入りから300升入りの大甕まで様々な大きさのものを作っていますが、九州の焼酎蔵から依頼を受けて貯蔵用の甕を制作することもありますよ。
甕は焼成温度1,200度ほどで、柔らかく酒と人の手に馴染むよう焼き上げますが、大きいものほど均一に焼くのが難しくなります。焼きが甘いと「ウンチャカジャー(土の風邪)にかかる」と言って酒の味を不味くしてしまうこともあるので、注意が必要です。
カラカラなどの酒器や椀や皿など上焼の器なども作っています。釉薬は地元で取れる様々なものから作っています。「鬼板」と呼ばれる紅殻と鉄を含む岩盤を採取して乳鉢(にゅうばち)ですり潰して鉄釉(てつゆう)を作るほか、サトウキビや珊瑚など身近なものからも釉薬を作っています。
近頃、古酒を愛好する方が増えてきているようです。私自身も古酒泡盛家で、3年・5年・7年・10年と容器を分けて仕次ぎし、熟成させています。時々味見をして味がボケてきたと感じたら若い泡盛を加え、いろいろな銘柄を注ぎ足しながら自分好みの古酒を育てています。熟成を進めるには、陶片を甕に沈める技法もあります。是非多くの方にお気に入りの酒と器で、オリジナルの味わいを楽しんでほしいと思います。
※上焼と荒焼:「やちむん」と呼ばれる沖縄の陶器は、大きく荒焼と上焼に分けられます。荒焼は主に無釉で装飾がなく、実用品が多い。かつては一合升などから大きな水甕や酒甕、味噌甕までが製造されていました。現在も古酒にはかかせない容器で、愛好する人々が少なくありません。
上焼は紋様や絵付けを施し、釉薬をかけて焼き上げる陶器。主に食器や小物類で、抱瓶(ダチビン)やカラカラなどの酒器も多く作られています。
沖縄の陶芸が放つ独特の風を形に
てぃぬひら工房 山田和男氏
石川県金沢市生まれ。玉川大学文学部美術専攻陶芸コース卒業。壺屋焼のおおらかさに惹かれて沖縄に移住し、照屋佳信氏に師事。1983年読谷村に『てぃぬひら工房』を開設。沖縄のやちむんの伝統を学びつつ、伝統にとらわれない独自の絵柄や形を展開しています。
沖縄の陶芸に本土とは違う風を感じ、まずは現場に飛び込んでみようと、大学を卒業後に沖縄の陶芸工房で修行を始めました。ロクロの回転は本土では右回りですが、沖縄では左回りという違いや、真鍮の削りカスと籾殻を焼いて釉薬を作るなど、古い焼きものの技術が生きていることにも驚きました。
読谷村で1670年頃に焼かれていた古窯『喜名焼』の発掘調査にも携わりました。出土した甕の破片を見ると密度の高い磁器のような断面をしていて、中身を漏らさないための高度な生産技術を持っていた事が伺えました。
泡盛の蔵元が主催する酒と酒器の展覧会に度々参加し蔵元と交流する中で、造り手の工夫や思いを知るようになり、大切に飲まなくてはいけないと思うようになりました。古酒の味わいにも魅せられ、泡盛を熟成させるための壺も制作しましたが、初めの頃に作った壺は3年ほど経つと陶器の細かい穴からアルコールが気化してしまい、苦労しました。土を試して工夫し、現在はガラス質の多い半磁器の土を使っています。
じっくりと古酒を味わってもらえるよう、半合入りの小ぶりなカラカラとチブグヮーのセットも作っています。施している唐草紋様の線彫りは、ツルが伸びるということで繁栄の願いを込めた縁起ものいい紋様で、古代の土器のようなプリミティブな力強さを焼き締めで表現しています。泡盛好きの一人として、一滴の古酒も無駄にしないよう注ぎやすい形に作っています。
日本酒造組合中央会
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